自転車は単純なCKCではなくて、ほぼOKCのCKCだと思う

題名書いてて、ゲシュタルト崩壊しそうな単語を並べて自分で迷いそうになる。

一般的にロードバイク含めた自転車での運動は閉鎖運動連鎖(以下、CKC)もしくはそれに準ずる運動連鎖(semi-CKC)と言われている。でも、僕には開放運動連鎖(以下、OKC)の要素がかなり強いように思える。だからこそ、自転車運動は意識的に運動連鎖を使うようにしなければならないと考えている。

運動連鎖について

運動連鎖(キネティック・チェーン:kinetic chain)の定義は、大体が以下のようになっている。

名称 en 定義
運動連鎖 kinetic chain ある関節の運動が他の隣接する関節へ影響を及ぼす運動。
開放運動連鎖 open kinetic chain 四肢の最遠位に位置する体節(≒手足)の動きが自由な状態での運動。
閉鎖運動連鎖 closed kinetic chain 最遠位部の体節に自由な動きを制限する外力負荷がかけられた状態での運動。

こう、定義されているとはいえ、OKCとCKCの二つにキレイに分けられるものでもないし、実際は一つの動作をとっても、OKC的な要素とCKC的な要素を複雑に複合させて運動している。というか、運動の大半はOKCとCKCの間のグレーな部分に属するものが大半だと思う。

OKCは局所的に負荷をかける運動で、CKCは全身を連動させる運動という分類もあるけれども、これは混乱の元凶なのでいったん置いておく。

自転車運動は本当にCKCなのか

一般的に手足が固定されているからCKC、でもそれなりに自由がきくからsemi-CKC。という分類の自転車運動。でも、この節には違和感を感じている。なぜなら、自転車自体が地面に固定されているわけではないからだ。基本的に不安定で、走らせないと自立できない。手足やお尻などなど、自由に動かしながら体全体でうまくバランスをとらないと真っ直ぐ進まない。そんな代物を使った運動をCKC運動とみなせるとは到底思えない。自由に手足を動かせないと自転車運動そのものが破綻する。たぶん、ヨガとかティラピスもこれに似ているのだろう。

優れた道具は身体の延長として認識されるという。自転車ほど優れた道具となると、ペダルやハンドルの先も身体の一部として認識されているはずだ。そうすればなおのこと、自転車運動をCKCと見なしても良いのか疑念は深まる。

だから、僕は自転車運動はほぼOKCのCKCだと考えている。

それのなにが問題なのか

”CKCはスクワットのように全身を連動させる”というような直感的に分かりやすい例にひきづられて、全身運動である自転車もCKCだと勘違いしてしまいそうになる。だけれども、四肢の末端が自由な状態だからこそ、パワーを散逸させないために運動連鎖と体幹を駆使しなければならないと捉えることもできるはず。おそらく、自転車とヨガやティラピスの相性がいいというのもこの辺りに起因してくるだろう。

問題は、固定ローラー台を使う場合だ。上の理屈だと、固定ローラー台はCKCの要素が大きい。それこそ、semi-CKCと呼ぶにふさわしいと思う。でも、これも考え方次第で、固定ローラー台で走るようバイクに体を固定するような実走が可能になれば、あまり問題にならないのかもしれない。大切なのは、自分はどちらなのかハッキリと決めることだ。僕は固定ローラー台のように固定する走りはできないし、無理のある組み合わせにも思えるから、そうはしないけれども。。