Qiitaのゴミ記事多すぎ問題について

Qiitaのゴミ記事多すぎ問題がよく燃えているみたいだ。先に断っておくけれども、僕は自由に書くべきだという意見に近い。だから、自由に書くべきだという人たちの意見には賛同するのだけれども、どれも大事なことが抜けているようで、ずっと違和感を感じていた。

qiita.com

そんな中、この記事を読んで違和感がハッキリした。彼らには権利はあるけれども義務がない。だから、フィルタリングは平気でGoogleと読み手の責務だなんて言えてしまうのだ。だからゴミ記事の弁明のためにアメリカではどうとか言い出して煙に巻くのだ。

Qiitaに限らず社会インフラと化したインターネットで公共の福祉を無視した権利を主張するのは間違っている。ネット自警団のように極端な行動は論外だとしても、個人がよい市民であるよう心がけるのは最低限として必要だ。

誰か(マサカリ族)が正してくれるって楽観的な人もいる。そんな人たちに、ゴミをマサカリ族のみなさんに全て拾ってもらうつもりなのかと問い質したい。キミはなぜ駅前からタバコの吸い殻が消えないのかを考えたことはあるのか? 海がここまで汚れてしまっているのはなぜだ? ググっても欲しい情報が手に入らない状態を作っているのは誰なんだ? ゴミ記事問題は明らかにマサカリ族が対応できる範囲を超えたから発生していることに気づいてくれ。加えて今の時点(2018-10-18 23:00 JST)時点で339,300本の記事が投稿されているような状態で、今更ゴミ記事増やすななんていうのも手遅れだということも認識しておくべきた。

記事を書くなら義務を果たす努力をすべきだ。そうやって書いた記事が間違っているのはしょうがない。それこそ、マサカリ族のみなさんにレビューしてもらうに値する記事だ。

よいエンジニアとして社会に貢献するために、エンジニアは社会正義を強く意識したほうがいい。僕たちエンジニアは社会を構成するほんの一部分だ。エンジニアに囲まれるとついぞ選民されたかのように勘違いしてしまいそうになるけれども、所詮は社会のほんの一部分だ。